よっくんうちゅうのたび

一人息子の“よっくん”(6歳)は高機能自閉症と注意欠陥多動性障害を抱えています。

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全ての事において何かしらの枠組みやルールがないと、どのようにしていいのか手がかりが掴めずに困惑してしまったり、周囲が困惑してしまうのがよっくんの生きている世界です。

例えば、大好きなチョコレートが入った袋を渡すとします。〇個食べて良いよ、と言わないでいると全部無くなるまで食べてしまうのです。

全部なくなってようやく食べるのを止めるのです。

手を洗う時は、その都度指導してあげないと蛇口を全開にしてしまいます。

広い自由な空間に放されると、エンドレスでぐるぐる走り回ります。
(まあ、子どもなんてそういう生き物ですよね・・・)

手洗い・うがい・着替えなども、その手順や方法が分からないとちょうど良い具合に出来ないでいたのが幼いころのよっくんです。

そんなよっくんも随分と色んなルール・道理・理屈を知ることが出来て、スムーズに生活が送れるようになりました。

それでもこれからは、もっともっと行動範囲や社会が広がっていきますので、これからも今までの繰り返しです。

そして今までは私がサポートしてきた部分が大きいのですが、これからは自分自身で自分の手助けをしなくてはなりません。

どのようにしたらそれができるか?そのことをサポートするのはこれからも私が担っていきます。



歯みがきひとつにしても工夫は色々ありました。

今では、電動歯ブラシを使いこなしているよっくんです。

小さい頃は、歯みがきの歌を歌いながらちょうど良い塩梅に歯みがきが出来るように見守ったり、私が仕上げ磨きをしてあげていました。

そのうち・・・その歌を自分なりに早送りをしてしまい、速攻で終わらせてしまうことがあるので砂時計を使ったりしていました。

それに力加減が難しく、すぐにブラシがボロボロになってしまっていました。

たまの仕上げ磨きで電動歯ブラシを使ってあげていたのですが、その感覚の面白さと楽チンさですっかり電動ハブラシにハマっているよっくんです。

一定の時間で自動的に止まるので磨き時間もちょうどいいですし、力を加えないのでヘッドのブラシがボロボロになることもありません。

そんなこんなで、一年中歯医者通いで親を悩ませていた甥っ子にも“電動歯ブラシ”を勧めたところ、歯医者さんきれい磨けていると褒められたそうです!!

それに朝起きたての口臭もなくなったとママが言っていました!

確かに!よっくんも、朝の口臭さえ気になりません。

親子で一生手放せない電動歯ブラシです!!

これからも歯の健康が維持できますように☆







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我が子には、辛く険しい人生の道のりにしっかり耐え、生きていってもらわなければなりません。

一人でもしっかり生きていける力をつけなければいけません。

日々の生活は、その基本となります。

“自分でできることは自分でする!”


主人にも甘えは許しません、できることはとにかく自分で!!

主人の視覚障害は進行するので、確実にこの先できないことが増えてきます。

本人が少しでも不便さを感じないようにするためにも、三男坊の甘えっ子からは卒業してもらわなければなりません。

私はあなたの介助をするために結婚したのではないと、この先の為にもはっきり宣言したいものです。


私はこれまで主人のしたいことを、阻止したことは特にありません。

それもこれも、自分なりの人生を今できる限りで楽しんでもらいたいからです。

人に甘えることなく、自分の人生をしっかり自分で生きてほしいからです。

私も誰に甘えることもありませんし、誰のせいにもしません。

それぞれがすべきことをしっかりこなすことが、私達家族の今後の生き方です。

愛情の中でこそ、それは果たされるのだと思います。


ポイント制のトークンでは“自分でできることは自分でする”が一日通して実行できたら、3ポイントゲットできます。

100ポイント溜めたらお買物券がもらえることになっています。

家族でよっくんのポイントゲットに協力している毎日です。


最近は主人も“自分でできることは自分でする”の行動を強化しているところです。


すっかり落ち着いて過ごしているよっくんです。

幼稚園の先生も療育の先生もびっくりしています。

穏やかな時間が毎日流れています。

よっくんの行動の変化がすべての結果です。

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アイマスクを作成したら入眠までの時間がびっくりするくらい早くなりました。
素材が暑苦しくなったので夏用も作りました。

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外出の際は私のカバンにつけたストラップを握ることで側を離れず歩けます。
時折、私の手の汗が不快で手をつなげないことへの対策(笑)

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ポイント制のトークンを使用することで、よっくんのいい行動がしっかり現れています。
(日頃のおやつはパンやくだもの、お饅頭やおせんべいにし、よっくんの好むお菓子はほとんど与えず、月に5枚のお買物券も廃止、ポイントカードが溜まったらお買物券と交換して自分なりに好きなお菓子を買います。)

よっくんも了承しています。



こうした具体的支援の数々は、これまで幼稚園でも家庭でも取り組んできたことです。

でも肝心な主導権(イニシアチブ)は、完全には私になかったというのがこれまでです。

大人と子ども様々な力の関係において、ただ私が強かっただけのことで、主導権を握っていたと勘違いしていました。

それと、よっくんの行動を心の内側で起こる問題だと捉えることが多く、正しい行動の分析が徹底して行われていなかったと言う事。


やはり、一番変わったのは私自身です。

一貫した対応、指導者としての冷静さを保つことをとにかく徹底するように心がけています。

今だけの可愛がりが、よっくんの将来のためにはならないことを常に念頭に、
よっくんには必要のない“私の甘やかし”はちょっとでも許さないことを自分に戒めました。


いい指導者とは、主導権を握ること。

主導権が私にあるからこそ、母親として指導ができるわけです。

そして、よっくんにあった正しい方法と正しい子育ての考え方が必要です。


ようやく、バラつきのあった私とよっくんの歩調が合い始めました。

あとは小幅でもゆっくり、同じペースで進んで行きたいと思います。

立ち止まるときも一緒・・・

そして私は少しよっくんの前を歩いていきます。



あまりテレビを見ないのが習慣になりつつある我が家ですが、
特定のアニメはかかさず見ているよっくんです。

最近はクレヨンしんしゃんとドラえもんに加え、

小学生の女児が見るようなキラキラしたアイドル系のアニメに大ハマリしています。

別にそれが悪いわけではないのですが、
一緒に見ているとその映像の刺激の強さに違和感を感じます。

特によっくんの発達障がいは、脳の一部機能の何らかの障害により感覚過敏や感覚鈍感が症状としてみられます。

その過敏さによる脳への悪影響を考慮して、そもそもTVをあまり見ないようにしてきたと言う我が家の教育方針の根本を考えると、キラキラ系の映像の刺激はやっぱり排除せずにはいられないほどではないかと感じます。

とにかく最近の子どもが見る民放アニメは映像の刺激が強すぎます!

我が家ではそういうものを目にしてこなかったので余計にそう感じるのかも知れませんが、

リアルや華やかさを追求し、その技術もどんどん進化していく中で何でも行き過ぎているように思います。

話の内容も非現実なものも多く、子ども向けではなく感じるものもあります。

個人的には「サザエさん」みたいな、ほのぼのした家族向けのアニメの存続をこれからも願うばかりです。



花粉症の症状と過敏体質により、目を異常ににパチパチさせているこのところのよっくんにちょうど良いと思って、キラキラ系のアニメの鑑賞を禁止としました。

私「目薬さしてもよっくんのお目めのパチパチがなかなか治らないから、今日眼科の先生にお電話で聞いたら〇〇のアニメはいっぱいキラキラするから目に良くないんだって。」

私「それに〇〇は小学生が見るアニメなんだってよ、お母さんDVDに録画してあげるからよっくんが小学生になったら見よう」

そんなこんなの説明であっさり納得してくれたよっくんでした。

母としても約束は守らなければいけませんので、何話かはHDDに録画しておくことにします。




よっくんの自分の呼び方は“よっくん”です。

周囲がよっくんと呼ぶのでそれも仕方ありません。

主人は名前で呼びますが、
私もよっくんの事を赤ちゃんの頃からの流れで“よっくん”と、そのままです。

よっくんを名前で呼ぶときは、主に怒る(叱る)時で・・・

その他のシチュエーションで名前で呼ぶと、
「〇〇〇じゃなくてよっくんでしょ!」とよっくんに改めさせられます。

しかしよっくんももう5歳、いつまでも“よっくん”ではいられません。

ましてや修正が難しいこの子達にとって、
今のうちに身につけておくことの基準は将来“必要なこと”かどうかです。

(むしろ将来必要とならないことは、今を目の前にしたところで
“必ずしも必要としなくていい”と判断する基準があることも知りました)

ならば、今のうちから“ぼく”と言えるようにしておく必要があります。

よっくんの“ぼく作戦”開始です!!

秘策はまだありません・・・


ちなみに私自身も自分の呼び名を“私”にするまで修正に苦労しました。

幼い頃父は、私の髪の毛が赤かったことから赤毛のアンみたいだと言う事で私を“アン”と呼んでいました。

私もおそらくその呼び名を気に入ってたのではないでしょうか、大人になるまで家の中ではどうしても自分のことを“アン”と言ってしまっていたのを思い出しました。


やはり子どもの頃の呼び名って愛着があるものですよね、
“よっくん”なんて呼ぶことができなくなる日を思うとそれもなんだか寂しい気もします。。。



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