よっくんうちゅうのたび

一人息子の“よっくん”(6歳)は高機能自閉症と注意欠陥多動性障害を抱えています。

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主人もようやく一歩を踏み出す気持ちになり、家族が同じ方向に向かうことができそうです。

最終的に主人の背中を一押ししてくれたのが、同僚や職場の仲間です。

主人自身もきっと頭では分かっていても、なかなか腹を据えることが出来なかった苦悩があったのでしょう。

しかし、よっくんも私も状況は同じです。

新しい土地で新しい生活に、期待よりも不安のほうが大きいのは正直なところ。

それでも、これまでの色々な積み重ねがあるからこそ、自信を持って前に進んで行きたいと思っています。

何事も、丁寧にじっくりこなしていくしかないわけです。

その繰り返しです・・・


ブログを通して多くの方に見守られ、今私達親子の歩みがあります。

皆様お一人におひとりに、感謝をお伝えしたい思いです。

二年半の短い間ではありましたが、“よっくんうちゅうのたび”を見て頂きどうもありがとうございました。

よっくんはたくさんの成長を見せてくれましたが、相変わらず“変わった子”だなと思いますし、よっくんに接していくのは簡単なことではありません。

よっくんらしさは、知らない人からは可笑しな目で見られることもあるでしょう。

それでも、よっくんにしかできない旅をしていってもらいたいとの願いは変わりません。


人に愛されながら、人と一緒に上手に生きていきながら、よっくんの人生が素敵なものでありますように・・・

そして、今後も皆様の健康とご幸多をお祈りしております。      こまり@


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『いいとも』も、今日で最終回。

ご一緒できて、光栄です(笑)                                          


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3月に入り、毎日ほんのちょっとずつ引越し準備に取り掛かってきましたが、細かいものほどまだ使う・・・

大きいものはすでに収納ケースに納まっているし・・・

じわじわ片付けていくしかな状況の中、ようやく部屋が殺風景になるまでになりました(笑)


高校を卒業し上京してきてから今までの出会いの中で、もしかしたらもう会えなくなる人もいるかもしれないと思い、「今日はこの人と 明日はこの人と」短い時間の残された期間の中で色んな人と会って・出掛けて・食事して・・・

ここに来て季節や気候の変わり目もあり、MAX落ち着かない状況のよっくんを連れては結構しんどいものがありますが・・・

忙しい中にも時間を無駄にすることなく、みんなに引越しの挨拶ができました。

今はメールやフェイスブックやLINEなどもあるので、ひょんなことで昔の繋がりが再会することもありますし、離れてしまった友達ともいつでもコミュニケーションが取れます。

それでも長い人生を歩んでいく中で、お互いに遠ざかったりもするわけです。

そんな当然の予測も出来るので、やっぱり引越しすることでの“今回の別れ”はその時その時で寂しいものがあります。

出会いがあっての別れがあって、それが人生だと思いますので一期一会の出会いや別れを適当にやり過ごすわけにはいきません。



桜の蕾の膨らみが増す日々に、これほど寂しいと感じたことはこれまでにあったかな・・・

人生の半分近くの思い出が、この東京に詰っています。

最後まで“都会人”にはなれなかったけど(笑)、私らしく過ごせてこれたのだと色んなことを感じます。











3.11

あれからもう3年が経ったのですね、

ちょうど幼稚園の入園を控えた時期の予期せぬ出来事でした。

卒園を控えた今も、あの日の映像、あの日の思いを、今日忘れることはありません。

よっくんの成長は3年間で大きなものを得ることができましたが、被災者の方々お一人おひとりにとってどんなに辛い3年間であったかを考えると複雑な気持ちです。

その成長を見届ることができなかった家族の思い、残された家族の言い知れぬ寂しさ・・・

3年で変わったもの、変わらなかったものは、どんなことでしょうか・・・

ふとそんなことを思います。

遠く離れた地で私に出来る最低限のことは、“あの日を忘れないよ。”と思いを寄せることです。


海のない山梨を故郷にもつ私は、小さい頃から海は憧れでした。

でも今は、海は本当は怖いんだなと言う事を知りました。

よっくんが、海で泳ぐのを怖がるのがわかります。

私達が自然に生かされていることを、恐ろしいほど思い知らされたあの日の出来事でした。

被災された方々の過ごす毎日が、少しでも笑顔多くなることを願っています。




よっくんを見ていると、“最近また大きくなったな~”と感じます。

特に一緒に歩いていると、よっくんまでの視線の距離が近くなったと感じます。

身長115cm・体重18.5㎏

余分なお肉は一切なく、体つきも一段とガッチリな感じになりました。

まだまだあどけない可愛い表情は昔から変わらずですが・・・

そう遠くない将来、確実に“少年”へと変わっていくのかと思うと無性に寂しく思う程親として、よっくんの成長を実感します。

体だけでなく、おしゃべりも一段と上手になりました。

よっくんと話していると、彼の可能性の“無限”を感じるほど楽しくなります(笑)


こんな風に密な時間を過ごせるのも小学校までなのでしょうね・・・

勿論ある程度これからも親の指導や関わりは必要不可欠ですが、それでも今のように親がいつでも側にいるのは自然な形ではなくなるのでしょう。

うちは結局、子どもはよっくん一人だけですので、私自身の長い長い人生においても目に見える形で自分の子どもをめいっぱい可愛がることができる期間はあと数年しかないと言う事です。

家ではよっくんは幼い頃と変わらず、私の膝に座ったり、抱っこしたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり・・・

そんなあたり前に過ごしてきた日々も、これからは変化し続けていくわけです。

嗚呼、愛おしい日々・・・

そんなに早く大きくならないでおくれ・・・


それでも、今までの密接な毎日に後悔はありません。

この七年間が必ずや親子にとって、互いの今後の長い人生の支えになると信じています。



私は毎週「明日ママがいない」のドラマを見ています。

子ども達が、逆境に負けないで幸せになる姿を見届けたいからです。

ドラマを見ている人は、そういう思いを抱えている人ではないでしょうか。

私は親の立場として、また子どもの頃を思い返しての子どもの立場として、子ども達のことを考えることがよくあります。

そんな子どもの頃の経験も、時代や立場が違えば視点もずれてくるのかもしれません。

しかし、お互いの考えや思いを完全に否定することからは何も生まれないと思います。




私はドラマの中にでてくるよな、子どもを育てることが出来なかった親に対しても同情を感じる時があります。

自分のお腹を痛めて産んだ母親でも、生まれた自分の子どもに対してあたりまえに愛情が沸いてこない人だっているという事も知っています。

それが寂しいとか悲しいとか残念だ言うことではなく、世の中にはそういう人もいるのです。

親としてこうあるべきと言う一般的な感覚だって、道理だって、押し付けにしかならないのかも知れません。

それは特性の違いなのかも知れませんし、自身が育った環境のせいなのかも知れませんし、愛情と言うものを知らないのかも知れません・・・

自分の子どもが心から愛おしいと思える人は、幸せです。

私もその幸せに感謝しなければならないくらいだと感じます。




私の母は、小さい頃に両親が離婚して叔父さん夫婦に引き取られて育ちました。

別れた両親のどちらも3人の子どもを引き取らずに、それぞれに新しい家庭を持ったのです。

母たちはどんなに惨めで寂しい子ども時代を過ごしただろうか・・・私には想像できません。

それでも、育ての親の愛情の深さもあって、母もとても愛情深い懐の深い人へと育ちました。

結婚してからも色んな苦労があったようです。

それでも母は逆境を乗り越えてきました。

母には底なしの強さを感じます。


状況は違えども、父の人生も壮絶なものがあります。

父の子どもの頃の話を一度だけ父の口から詳しく聞いたことがありますが、涙なしには聞けませんでした。

そんな父や母の姿を見ていると、自分の人生を人のせいになんかしないで一生懸命生きなくちゃいけないと思うのです。


・・・もちろんそれとは逆に、一生懸命頑張りたくても頑張れない人もいると言う事も私は知っています。


子どもはこうあるべき、親はこうあるべき、夫婦はこうあるべき、家庭はこうあるべき、人生はこうあるべき、社会はこうあるべき・・・

こうあるべきの正しさや間違いも、明確なものはないということを最近色々と感じます。

幸せになりたいか、なりたくないか・・・何が幸せなのかも結局は自分自身が決めることです。

子ども達には、どんな状況でも乗り越えて幸せを掴もうと前を向いていける人生を歩んでもらいたいと願うばかりです。


そして、私達どの大人にも子ども達を守る義務があると思います。

その義務を果たしてくれる優しい大人がたくさんいる社会であってほしいと思います。






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